☆Plrara☆ さんのこと
インド占星術の研究仲間でありラージャ・ヨーガでもお世話になっているPlraraさんについて書いてみたいと思います。
現在、Plraraさんのインド占星術鑑定を受けるには3ヶ月待ち(その後1年半待ち)だそうです!
宣伝らしい宣伝はしていらっしゃらないので、口コミで広がっていると思いますし、待つだけの価値もある鑑定だと思います。
じっさいにPlraraさんの鑑定を受けた方に感想を聞いたら「アツがすごい」って仰っていました。
アツはたぶん、気の圧のこと?
じつはPlraraという名前の由来が、アツに関係しているとわたしは思います。
Plは冥王星(Pluto)の略でRaは ラーフ(Rāhu、羅喉)の略で、つまり冥王星+ラーフが二つという意味です。
占星術でこの3つが意味するところの具体的体験はご本人から聞いたことがあるのですが、例えばそれは、ぐるぐるの台風が2つ一緒に来て極限を超えたパワーが容赦ない徹底した猛威を振るう状態です。冥王星とラーフという組み合わせだけでも人間の限界を超えたパワーを暗示するので、3個合わさったら、たぶん誰も・・・本人も止められません。もしこれに対してブレーキをかけるとしたら巨大なアンカーが必要です。
普通の人には使い切れないほどのパワーを生来的に持っているPlraraさん。
このような巨大パワーはコントロールしないで気まぐれで放置したり使い方を間違えると大変なことになります。
カウンターパワーとしての足枷
かく言うわたしも、ラーフやケートゥ(Ketú 、計都)と天王星の影響力が強めで火星と土星(凶星)コンビネーションが強い生まれです。火星土星はラーフやケートゥとちがって物質的実態を持つ惑星のため、その影響も具体的にあらわれやすいと言えます。離婚も転職も病気もあれこれ、いろいろです__ε-ε-(●ノ≧ω≦)ノキャー。
Plraraさんの強いパワーは物質的実態を持たない、いわば潜在的パワーのため、何か具体的な物事に意識を集中したときに(本人の意思に関係なく)傾向としてあらわれます。冥王星もラーフも影響力が強いので、単に傾向といっても顕著なので無視はできません。
ただ素晴らしいことに、Plraraさんはこの巨大パワーに対応してカウンター的に使えるアンカー「足枷」も持っています。過去、子供や家族に関する事象でこの足枷が上手く使われたことによって危ない状況が命取りになることなく乗り越えられたと思われます。
そしていまはインド占星術の鑑定家であり先生であり、立派なお母様と旦那様と息子さんお孫さんたちと共に豊かな人生を歩んでいらっしゃいます。

Plraraさんの足枷カウンターが上手く機能したのは、やはりきちんとしたご両親のご家庭で高い教育を受けられたことにあると、わたしは考えています。
学生の時期にはちゃんと勉強する、結婚できる時期にはちゃんと結婚する、といった人生の適切な時期に適切な行動をとる当たり前といえば当たり前の行為を、本人が実感として当たり前にできるような流れがあってこそ「足枷」が「アンカー」機能になったと思います。
ケース・バイ・ケース
わたしの生来コンビ惑星であるケートゥと天王星の組み合わせは、一言で表すと「変な人」です。昔からこうなんだから当たり前でしょ、と言われても絶対に納得しません。
そしてわたしの育った環境はというと・・・来週、離婚直後の母が父へ出した50年も昔の手紙を家庭裁判所に出すかどうか含め弁護士に相談する予定で・・・ってことでご推察いただけるかと思います。だから不幸だとか両親が劣っているという意味ではないのですけど。むしろ子供時代がハードだと後の人生軽く感じて生きやすかったりしますし、ドラマや映画よりもリアルな人間模様から学ぶ経験は貴重です。
つまり、ひとそれぞれが違う家庭環境に生まれることは幸不幸の決定打ではないのですね。もちろん、凶星は厳しい環境の要因になりますし凶星の影響下に起こりうる結果は決してふんわりとした印象にはなりません。そして「凶星」と一口に言っても様々な性質があって、それぞれの影響も違った特性と現れ方をします。
そんなわけで、Plraraさんもわたしも凶星の影響を「良くも悪くも」受けて、違った苦しみを経験して違ったかたちで対処しているのです。その行為が結果的には人生の体験として流れ(ストーリー)をつくって個々の人生観や哲学といったものになっていきます。
カルマの法則
Plraraさんのブログによると〝人生の指標とするものとして「これだ! 凄い!!」と思ったのは、仏教の真理でした。〟とあります。
わたしとPlraraさんに共通しているのは仏教の真理への信頼かもしれません。
真理を知りたいと言いつつ実際には拒否してしまいがちなのが人情です。今が多少苦しくても、まぁまぁ退屈でも、変わりたくない・怖いものを見たくないのです。
インド占星術で読み解いたことをお伝えしても、それを踏まえてどうするか考えないと、自分に関する知識が増えただけで終わってしまいます。鑑定していると自分が聞きたい言葉だけを期待する人もいる、とPlraraさん言ってました。
お釈迦様の教えはありのままを観なさいというのです。では、ありのままがわかったらどうなるのか・・何もすることがないという結論に達してしまいます。例えば地球は丸いというのは本当にありのままですが、それを知っても変えようが無いから何もすることはないです。カルマも因果も、知ったからといって法則なので変えられるわけではありません。実は、ありのままを観て変えるべきは自分の心です。ありのままの心を見えなくしているのも自分の心です。知っても変わらない外の現象とは違い、自分の心は、ありのままで観ると変わってしまうのです。そこに必ず体験があります。幸せを感じるのも苦しみを感じるのも自分の心。体験は心が決めます。ありのままの心に気づくきっかけにも占星術は役立てることができます。
お釈迦様は人々の苦しみについての真理を説きました。それは何もせず諦めなさいという意味ではないのです。避けようとしても避けられない苦しみにどう臨むべきなのかという生き方を教えたのでした。
インド占星術の鑑定書は処方箋です。処方箋に薬効はありません。
理屈ではなく身体感覚を含めた行為で意識が変われば、因果法則なので因が変われば果も変わります。
共通の願い
ありのままを信頼すると決めた途端、幸せになる上でも生きていく上でも、余分な考えや心配が薄らいできます。起きる物事に吉凶の差がなくなっていきます。Plraraさんも(修証義やラージャ・ヨーガを通じて?)そう感じていらっしゃるようです。
それがインド占星術家のわたしたち共通の願いです。